今日は、人が何かしらの意思を持つことには意味がある、かもしれない。という話を書こうと思います。
わしゃあ!で生き延びた
先日とある方の話を聞きました。ここではわかりやすくAさんとしておきましょう。
Aさんは現在82歳。広島に原子爆弾が落ちた時、小学生だったそう。
原爆が落とされる前日、8月5日にAさんは広島市に住む姉の家に行っていました。
そして原爆ドームのすぐ近くで釣りをしていたそう。
戦争中もいいとこですから、それはそれはものすごく警察に怒られたそう。「お前ら戦争中に釣りとはなんたることや」と。
ただ注意するだけならまだしも、わけのわからない長い長いお説教をされたそう。
それにブチギレたAさんは、「わしゃあもう帰る!!!」と、その日は広島市の姉の家に泊まることになっていたが、そこには帰らず。
広島市からかなり離れた実家まで帰ってしまったそう。
思い出して欲しい。そう、これは原爆が落とされる前日。
こうしてAさんは生き延びた。
あの日、わしゃあ!と怒って実家に帰らなければ被爆していた。
その意思が生まれるまで
母親の身体から出てきた時点での人間は、みんなほっとんど変わらない。まっさらだ。
そこからまず母親父親に出会い、お医者さんに出会い、といろいろな人、ものに出会っていく。
その出会った人から少しずつ影響を受けていき、今のあなたがつくられている。半分遺伝、半分環境と言われている通り。
つまり、[今のあなた]=[遺伝]+[生まれてから出会った人、もの]
30歳の人が何かの出来事に何かしらの意思を抱いたとしたら。生まれてから30年間の間に出会った全てのものの影響を受けて、その意思が生まれている。
それってもう誰かの意志でコントロールしてできることではなくないか??
30年間出会うものを誰が管理できるだろうか。
偶然とは、事前に予想できななかったことだから、
人が何かしらの意思を持つことは偶然と言えるだろう。
偶然と必然の違い
ここで問う。偶然と必然の違いってなんだろう。
必然は100%。偶然は可能性が低いこと。
では偶然すぎる偶然、例えば0.0001%とか。可能性が低すぎて逆に必然なのか??
赤ん坊が、無数に存在するうち、一つの家族に生まれ落ちてくるのは偶然なのか。必然なのか。
ここで、最初に書いたAさんの話を思い出してみると。
Aさんは生きる必要があったのか。それともただのたまたまで特に意味などないのか。どちらに思うこともできるだろう。
偶然か必然かは人の思いようで、それ自体にはほとんど違いがないのではないだろうか。もしくは限りなく近い。そう言えると私は思う。
同時に、意味があるかないかも人の思いようであると言えるだろう。自分がこの家族に生まれてきたことに意味があるのかないのか。どちらに思うかはその人次第だ。
何年、何十年生きてきたあなたがその意思を抱くことに意味があるのか、ないのか、どちらに思うかはあなた次第だ。
起き上がらないのが失敗
しかし、例えば自己否定のような、ネガティブな意思を抱くこともあるだろう。人と比べて自分を変えたくなったり。
仮に、人が抱く意思に意味があるとするならば、そのネガティブな意思にも意味があることになる。
意味があるのだから抱いた意思にまかせて動いてしまえばいい。
もう我慢できないほどイライラしている人がいるならぶちかましてしまえばいい。
だってその意思には意味があるのだから。
そしたら良くないことが起きるのかもしれない。人間関係が悪くなるのかもしれない。
でも、転ぶのが失敗なんじゃなく起き上がらないのが失敗なのだ。
”自分に自信がない”という意思を抱いている人は、自分に自信がないという状態が失敗なのではない。
自分に自信がない状態から、自信が持てる状態まで起き上がれたなら。同じように自分に自信の持てない人を助けることができる。
つまり、自分に自信がなかったという意思を意味のあるものにできる。
失敗したと思っても辛くなっても悲しくなっても、それはまだ、ストーリーの途中なのだから。いくらでも意味のあるものに変えることができる。